木が伐れない樵の業務日誌

新潟県村上市にある民間の林業会社に勤めている30代男が林業についてつらつら書いてます。

伐った後、植えたくなる仕組みづくりについて考えてみる(機会損失という視点で再造林を見る)


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普段、木を伐らせていただく山は小さい山林を所有している方の山が多い。

これまで何人もの所有者さんと立木売買や山の管理の話をさせてもらったが、やはり山を持つという事に関してネガティブなイメージを持たれている方がほとんどだった。そして、全国的にも問題になっているが、この山を持つことに対するネガティブなイメージによって、伐った(皆伐)後に植える(再造林)という動機が生まれづらい状態になっている。

なぜ再造林が進まないのか?「材価の低下」「所有者の高齢化·跡継ぎの不在」「山への関心の低下」などが挙げられる。要するに山を持つこと、ましてや植栽など投資をする見返りがどうも少なそうだという期待値の低さからなるのだと思う。

そして、我々も「なぜ再造林をしないの?」と聞かれると、理由を「所有者さんが植栽したくない意向だから」だと言っている。これを聞いていて(言っていて)いつも違和感を覚える。事実だが正解ではないと思うからだ。

林業には様々な補助金制度が整備されているが、この再造林もその補助対象の一つとなっている。この補助金で再造林経費を賄うことができ、極端な話、森林所有者の新たな持ち出しをほぼゼロで植林することも可能だ。この補助金は森林所有者も活用することができるが、小規模な森林を個人で所有している方はその制度や申請方法を理解するために掛ける手間を考えると、専門業者にお願いして補助金を活用した森林管理をお願いしている方が多い。

つまりは補助金制度も理解し、実行部隊(現場技術員)を備えた専門業者(森林組合林業会社など。以下:森林管理者)に再造林が可能か不可能か、するかしないかの判断は委ねられている状態にある。

私は再造林が進まないのは、森林管理者が新たな林を育てていくという「やる気と覚悟」がないからだと思う。所有者さんが植林する気が無いと言っても、我々が責任をもって管理しますと言わなければいけないところなのだ。

しかし、この森林管理者も再造林はやりたがらない、なぜならば儲け(ここでは売上)が少ないから。

所有者の儲けがないのは 投資した価値よりもその後得られる価値が小さいということだが、森林管理者にとっての儲けが少ないのは得られる売上(ここでは補助金)と再造林や保育に投下する労働力や経費がほぼ同じもしくはそれ以上になってしまうため。
ここをクリアするために、コンテナ苗の開発やドローンによる除草剤散布による下刈り経費削減など、省力化のために技術開発に国を上げて取り組まれている。しかし、森林管理者にとってはもうひとつ「儲からない理由」となるものがある。

それが「機会損失」という考え方だ。

「機会損失」
意思決定にあたって2つ以上の案があった場合, そのうちの1つを採用し, 他を不採用にした場合に, 得ることができなかった収益または利益の最大のものをいう.(Weblioから引用)

 

林業の仕事には様々なものがあるが、それぞれの売上単価も異なってくる。そして、組織として売上を最大に上げるには一番単価のいい仕事を年間を通してやり続けることだ(これを実現するには、現場の確保など色々条件があるが、それらがクリアできる条件だとする)。例えば生産性の高い皆伐の仕事の方が、1人一日当たり稼げる売上は、植栽の補助金額よりも高い(売上ベース)。5人の現場技術員がいる場合に一番売上を上げることができるのは、5人で(MAXの生産性で)皆伐を行うことだ。このうち2人を植栽に回すということは2人分の皆伐による売り上げを失っていることになる。
再造林をするということは、この皆伐で稼げるチャンス(機会)を捨てて(損失して)行っているのだ。つまりは、再造林や保育が儲からないというのは、その「造林経費VS補助金」ではなく、「皆伐の売上Vs再造林・保育の補助金」という比較の結果なのだ。


一方で、再造林は森林管理者にとっても、将来の現場づくりに繋がる。将来回収すればいいという考え方もあるが、この機会損失は再造林時だけではないその後数年かかる下刈りなど保育作業にもかかってくる、その数年分積み重ねてきた機会損失分を回収できる見込みがあるのだろうか?これは日本の森林蓄積が高い、伐る山がいくらでもある時代だから起きる現象でもある。

この皆伐や請負事業など、単価の良い仕事の機会損失が補てんできるくらいの価値が再造林によって得られる仕組みにしない限り、この再造林・保育は進まない。

造林技術の話ではなく、仕組みの問題である。そう感じる今日この頃です。